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BlogX(旧Twitter)では語れない社長のつぶやき
BlogX(旧Twitter)では語れない社長のつぶやき
2025.08.01X(旧Twitter)では語れない社長のつぶやき
地獄の野球部 ー 1990年代後半、甲子園球児のリアル
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皆さま、こんにちは。
ZEROフィットネスの長縄です。
毎日毎日、本当に暑い日が続きますね。いかがお過ごしでしょうか?
さて、皆さまは、「夏といえば?」と聞かれたら、何が思いつきますか? 花火?プール?すいか?
私がその質問に答えるなら、「甲子園」、でしょうか。この季節になると、当時の自分の姿がふっとよみがえってきます。
実は僕、高校時代に甲子園に出場しました。(”春”ですけどね!笑)
「すごいですね!」「かっこいいですね!」なんて言っていただくことがありますが……
本音を言えば、あの3年間は、地獄でした。
第6回目の「X(旧Twitter)では語れない社長のつぶやき」のテーマは、「私の夏の地獄の思い出」です。
始発で吉野家、大盛り牛丼から1日が始まる

僕です
私が通っていた高校は、いわゆる野球の強豪校。毎日始発の電車に乗って通学していました。
朝の5時すぎには家を出て、通学途中にある吉野家で牛丼大盛りをかきこんでから登校。これが“朝食”です。
その後すぐ朝練。グラウンド整備に始まり、ランニング、素振り、ノック…。もうその時点で全身汗だく。
でも授業があるわけで、教室に戻ると、今度は睡魔との戦い。授業中は……ほとんど寝てました(笑)
ちなみに、僕は野球特待生だったので、野球で勝つために入学したようなもの。先生も色々と理解してくださったようです(?)。
ちなみに、大学も野球特待生でしたので、高校・大学と授業料がかからなかったのは、唯一の親孝行かもしれません。笑
当時の食事量は…本当にハンパなかったです。
母が作ってくれたお弁当は朝練後に食べて、お昼ごはんは学校で売られているものを食べる。
1日5〜6食。運動量が多いため、どれだけ食べても痩せていく一方。毎日とにかく、食べる → 寝る → 動く → 食べる → 寝る → 動く の繰り返しでした。
真夏でも水を飲むな、年2日の休み

さぁ、僕はどこでしょうか?!
今では考えられない話かもしれませんが、当時は真夏でも水を飲むことが許されませんでした。
30度を超える日でも、汗が滝のように流れていても、「水を飲む=甘え」だとされていた時代です。
そんな中、外野の守備に就いたときは思わず浮かれました。
ファールボールを田んぼまで取りに行ったとき、田んぼの水を飲めるからです。
みんなボールを取りにいくために(水を飲みに行くために)、全力で走ります。
田んぼの水を手で汲んで飲むのはご褒美。
また、水を含ませたタオルを凍らせて、小さなビニール袋に入れて、それをポケットに入れて、汗を拭くフリをしてそのタオルを口に含み、わずかな水を飲む作戦もやりました。
タオルを吸いすぎたおかげで、タオルの味の違いが分かるようになった僕(笑)
さらに、トイレの流れる水を飲んだことも一度や二度ではありません。
年間の休みは、大晦日と正月の2日だけ。
(学校のテスト結果で、追試がない人は5日も休みがありました。僕は…苦笑。)
野球部生活は、始発の電車に乗って、帰宅は21時を回る日々。(終電のときもあります)
風邪を引いても、熱が出ても、関係なし。疲労骨折しても練習に出ていたし、40度近い熱があってもグラウンドに立っていました。
ある日、自宅に帰って玄関のドアを開けた瞬間、その場で意識を失って倒れたこともあります。きっと体も心も限界をとっくに超えていたんですね。
暴力が日常。血のついたユニフォームと、母の涙

ショートでした
あの頃の野球部は、いまでは完全にアウトな暴力と怒号の支配下にありました。バットが飛んでくる、蹴られる、殴られる。
先輩に殴られて血が出て、ユニフォームに血が染みるのが日常でした。
その血のついたユニフォームを、母が毎晩のように、涙を流しながら洗濯していた姿が目に焼き付いています。あのとき、僕だけじゃなく、母も一緒に地獄を見ていたのかもしれません。
殴られに行っているのか、野球をしに行っているのか分からないほど。
普通なら殴られれば、身を引きたくなるでしょう。でも当時の僕は少し変わったタイプで(今も?笑)、「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出す」ようなタイプでした。
歯を食いしばり、「俺は、負けない」と言わんばかりに。
「耐えることが正義」そう思っていたのかもしれません。もちろん、左の頬も思い切り殴られましたけどね!笑
野球が好きだった。ただそれだけで続けた

小学生、全国制覇のチームのキャプテンだった
じゃあ、なぜそんな環境でも続けたのか。答えはひとつ。
野球が好きだったから。
理不尽な理由で殴られる、水も飲めない。練習は苦しい。
でも、ボールを打ったときの感触、守備でアウトを取ったときの快感、仲間とグラウンドで笑い合える一瞬の喜び——。
それがすべてを上回っていました。どれだけ過酷でも、野球を辞めたくなかった。
「野球が好き」という気持ちだけが、僕の3年間を支えてくれました。
あの地獄が、今の僕の芯を作ってくれた
今、ZEROフィットネスを運営している中で、当時の経験が活きている場面は少なくありません。
多少の無理では動じないメンタルや、どんな状況でもやり切る根性。あの野球部での経験が、今の経営や人との関わり方に生きていることは間違いありません。
でも、同時に思います。社会に出てからの「つらさ」は、また別の種類だということ。
高校時代の苦しさには明確な敵がいたし、「乗り越えれば報われる」というルールがあった。
でも社会人になると、努力しても結果が出ないこともあるし、誰も褒めてくれないし、報われる保証もない。
だからこそ、「あの頃の自分が耐えたから大丈夫」とは言い切れない。むしろ、今の時代は「無理をしない強さ」や「誰かに頼る勇気」の方が大事かもしれません。
暴力、理不尽、極限の疲労。あの過酷な高校時代の経験は、決しておすすめできるものではありませんし、あの時代のやり方を肯定するつもりは一切ありません。
若い世代にも、自分の子どもにも、経験してほしくありません。
僕は当時、全国の強豪校に友人がいましたが、僕の野球部が可愛いと思えるほど、(ここにはとても書けないような、)もっと過酷な練習内容をその友人たちから聞いていました。
本音を言えば、これらは途切れるべき慣習で、現代の強豪野球部でこのような名残がないことを祈るばかりです。
でも…あの時間がなければ、今の僕はいなかったことは確かです。
痛みがわかる人間でありたい
僕はフィットネスの現場で、人の「体」だけでなく、「心」とも向き合っていると感じています。
経験上、表情やちょっとした仕草から「本当は心がしんどいのに、無理に笑って頑張っているな」と気づくことが増えました。そんなとき、そっと一言声をかけると、ふいに涙をこぼして、家族にも話せなかった苦しみや悩みを打ち明けてくれる方もいます。
フィットネスは体を鍛える場所であると同時に、心を少し軽くできる場所であってもいい。あの地獄を経験したからこそ、いま、誰かに寄り添える人間でいられる。そう心から思えるようになったのは、ここ数年のことかもしれません。
最後に
こんなことを言うと炎上するかもしれませんが(笑)、僕は体を鍛えること以上に、「人と真剣に向き合うこと」に価値を感じています。
また、僕自身は誰かの「しんどい」や「限界」と真正面から向き合える人間でありたいと思っていますし、
それが、僕の目指すトレーナーであり、経営者の姿です。
ZEROフィットネスは、ただ鍛えるだけの場所ではなく、「人生と向き合う場所」であり続けます。
ZEROフィットネス
長縄 学
🌈心に豊かさ、日常に彩りを🌈
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